「あぁ、監督 ~ 名将、奇将、珍将」(角川oneテーマ21)野村克也著 2009年
第1章 監督の条件
第2章 私が見た「名監督」たち
第3章 間違いだらけの監督選び
第4章 野村流監督心得
第5章 人を遺してこそ、真の名監督である
毎日組織づくりのことを考えている私に対し、いつも厳しい指導をしてくれるのがノムさんの著書です。
組織が強くなければ、今の時代を生き抜くことはできない。
組織の成長は社員ではなく、まずは自分自身の成長から。
私自身が感性を磨き続けていくこと。
私自身が考え続けていくこと。
私自身が正しいプロセスを踏んでいくこと。
私自身が一人の人間として成長し続けていくこと。
「組織はリーダーの力量以上には伸びない」これは、たびたび述べている私の持論であり、組織論の原則である。
それでは監督の「器」とは何か - あらためて私は考えてみた。あえて言葉にすれば、「信頼」「人望」「度量」「貫禄」「威厳」「表現力」そして「判断力」「決断力」ということになろうか。むろん、深い野球知識と理論を持ち、「戦略・戦術」にすぐれていなければならないのはいわずもがなである。“「信」は、万物のもとをなす” が基本である。
「プロの選手として働ける時間は短い。ほとんどの選手はその後の人生のほうが長い。ほかの社会に入っても、さすがはジャイアンツの選手だといわれるように、バカにされない人間にしておきたかった」そいうした考えから、川上(哲治監督)さんは選手たちに「野球人である前にひとりの人間であること」を厳しく説いた。
人間としてどう生きればいいのか考えれば、当然野球に対する取り組みが変わる。取り組みが変われば、おのずと結果も変わってくるはずだ。
人間は、生涯学習である。その意欲をなくしたらおしまいだ。進歩も成長もない。「組織はリーダーの力量以上に伸びない」と私はたびたびいっているが、だとしたら、リーダーすなわち監督自身が力量を伸ばし、器を大きくしなければ、チームもそれ以上成長しない。
「人間的成長なくして技術的進歩なし」-私はいつも選手にそういっている。仕事と人生を切り離して考えることはできない。仕事を通じて人間は形成される。仕事を通じて人間は成長し、成長した人間が仕事を通じて世のため人のために報いていく。それが人生であり、人がこのように生を受けることの意味だ、すなわち人生とは「人として生まれる」「人として生きる」「人として生かされる」と私は理解している。
「ひとはつい自分ひとりで生きていると錯覚しがちだが、決してそうではない。他人からの恩恵をさまざまなかたちで受けている。野球選手も同様だ。成績をあげるためにはほかのチームメイトの協力がなければならない。
きちんとしたプロセスを経ないで生まれた結果は、それが数字的にどれだけすばらしいとしても、たまたまだ。ほんとうの実力ではない。
「鈍感は最大の罪」と私はしばしば口にする。感じる力を持っていなければ、眠っている素質を開花させることはできないし、技術的にも精神的にもそれ以上の成長はありえない。だから「感性を磨け」と常日頃から選手にいい聞かせているのだが、完成にすぐれた選手は必ず伸びる。これは私の長年の経験でわかった真理である。
これを監督の立場から考えれば、いかに「気づかせるか」が大切だということになる。すべて教えてしまっては、選手は気づかないし、気づく力を獲得することもできない。「監督は気づかせ屋」であると私がいっているのは、ここに理由がある。
監督は、ヒントを与え、選手が自分自身で気づくよう仕向けなくてはならない。そうすることで「何が悪いのか」選手は考える。「どうすればよくなるだろう」と試行錯誤する。その過程で技術が進歩し、人間としても成長していくのではる。まさしく「人はプロセスでつくられる」のだ。