「学問のすゝめ」福澤諭吉著

「学問のすゝめ」福澤諭吉著

ふと何気なく「学問のすゝめ」を手に取ることがあります。読み方はいろいろ。全編を読み通すこともあれば、その時の自分に必要な章だけを読むこともあります。読むと心も頭もスッキリ晴れやかになります。

一見複雑に見えることも、「学問のすゝめ」を読めばシンプルに見えてくるように思います。

物事の本質に論理的に迫っていく「学問のすゝめ」。

約150年前に書かれた著書ですが、現代が直面する様々な問題・課題・事象に対し、論理的で明快な解決策や方向性を示してくれる著書とも言われています。

私は会社経営者という立場で、組織をどのような方法で、どのような方向に導いていくか、ということを常に考えています。その方法や考え方は様々ですが、「学問のすゝめ」で説かれる福澤諭吉氏の論理や筋道は一つの道しるべになります。

複雑化する今の世の中において、会社経営に求められることは真実・本質を見抜く力。一見複雑に思えることも、その中核を形成する真実・本質はシンプル。どのような時代であっても、どんなに複雑化する世の中においても生き抜いぬくことができる組織は、真実・本質を見抜ける力を持つ組織。

例えば「第15編:事物を疑って取捨を断ずること」の冒頭で福澤諭吉氏が述べています。

「信の世界に偽詐多く、偽の世界に真理多し。」

「信じることには偽りが多く、疑うことには真理が多い。」

「物事を軽々しく信じてはいけないのならば、またこれを軽々しく疑うのもいけない。信じる、疑うということについては取捨選択のための判断力が必要なのだ。学問というのは、この判断力を確立するためにあるのではないだろうか。」

「事物の軽々信ずべからずこと果たして是ならば、またこれを軽々疑うべからず。この真偽の際につき必ず取捨の明なかるべからず。蓋し学問の要は、この明智を明らかにするに在るものあらん。」

それなりの知識は役に立ちます。かと言って、知識があれば適切に「疑う」ことができるとも限らない。知識があれば適切に「判断」できるとも限らない。

では、そのために必要なことは何なのか?

それは、一言で言えば「実学」。

「専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。たとえば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、天秤の取り扱いというを心得、なおまた進んで学ぶべき箇条は甚だ多し。地理学とは、(中略)。究理学とは、(中略)。歴史とは、(中略)。経済学とは、(中略)。修身学とは身の行いを修め人に交わりこの世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。」

会社経営の土台づくりは「実学」にあり。

「実学」無き会社経営は「隣の家の家計簿に口出ししながら、自分の家が盗賊に入られたのを知らない」状況に陥る恐れもある。

「学問のすゝめ」は全17編。一生かけて何度も丁寧に読み重ねていくこと。書かれていることを一つ一つ実践しながら自分のものにしていくこと。そのプロセスは「実学」習得そのもの。

重ねて再読しながら、またブログに書いてみたいと思います。