「バカの壁」養老孟司著

「バカの壁」(新潮社)養老孟司著

第1章 バカの壁とは何か

第2章 脳の中の係数

第3章 「個性を伸ばせ」という欺瞞

第4章 万物流転、情報不変

第5章 無意識・身体・共同体

第6章 バカの脳

第7章 教育の怪しさ

第8章 一元論を超えて

最近は昔読んだことのある本を再読する機会を増やすようにしています。この著書もその1冊。2003年のベストセラー。当時、タイトルからも刺激を受け、書店で買って一気に読んだ記憶があります。しかしその内容となると、ほとんど記憶にありませんでした。今の自分の中にもある「バカの壁」を確認するためにも、20年近くぶりに本棚から取り出し、読んでみました。

バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。

だから、考える。

だから、知ろうとする。

知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界がまったく変わってしまう。それが昨日までと殆ど同じ世界でも。

ここが現代社会が見落としている、つまり「壁」を作ってしまった大きな問題点だと思っています。人間は変わらないという誤った大前提が置かれているという点、そして、それにあまりに無自覚だという点。

『平家物語』の冒頭文「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」や『方丈記』の冒頭文「ゆく河野の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」なども引用しながら、著者は現代に生きる我々とは違い、昔の人は個性そのものが変化していくことを知っていた、という見解を述べています。

その一方で

「人間であればこうだろう?」という「常識」が究極的な普遍性であるとする、という見解も述べています。

個々の人は変わりゆくものである。しかし、個々の集合体である「人間自体はこうだろう」ということ。

書籍を読みながらこんな話を思い出しました。

大昔の遺跡壁や古典の中に「最近の若者は」という言葉がよく登場する、ということはよく聞く話。日本の古典で言うと枕草子や徒然草にその類の言葉が登場するらしい。

年齢を重ね、いろんな経験を重ねていく毎に、個々の人間は変化していくものであるということ。しかし、若者と年長者の関係性自体は大きくは変わらないということ。いつの時代も若者と年長者の関係性はこんなもんだろう。人間ってそんなもんだろう、ということ。

若者には若者の「バカの壁」があり、年長者には年長者の「バカの壁」があること。その「バカの壁」を越えていくには、各々の立場で状況を読み、相手のことを考え、知るということが大切であるということ。

これは、若者と年長者という関係性から思いついた事例でが、そのような事例は世の中には無限にあると思います。つまり、この世の中には「バカの壁」が無限にあるということ。

私自身の限界まで考えつくし、想像しつくし、知りつくし、何とか「バカの壁」を乗り越えていきたい。そのためにも、自分自身が変化していくことを認識すること。その一方で、変わることの無い普遍的な人間の本質も知る努力を重ねていくこと。しかしこれらは一朝一夕にいくものでは決してなく、一生涯をかけた大きな大きな知的作業である、ということ。