「ID野球の提唱者が明かす!運の正体」(竹書房文庫)野村克也著 2018年
第1章:野村の運
第2章:運を呼ぶ技術
第3章:見えない力
第4章:感性を磨くと運が来る
第5章:「流れ」の正体
第6章:悪い流れを好転させる
私の中のノムさんロス。
ノムさん著書を重ねて読み続けています。
野村克也氏の著書を読むたびに、
「おい木下、ちゃんとしっかりせえや」
と言われているようで、いつも身が引き締まります。
そして必ず学びあり、新しい発見、気づきがあります。
考える野球、理をもって戦う野球をテーマとして「ID野球」を掲げてきた野村克也氏。
「運」を引き寄せるためにも「野村の考え」があることがよく分かる一冊です。
読んだ後、
運を引き寄せるために大切なことは、常に感性を研ぎ澄ませながら正しいプロセスを歩んでいくこと。
自分が何のために生き、仕事するのかということを常に自問自答しながら。
と、私自身は解釈して考えるようになりました。
会社組織がよき「運」に恵まれるためには、経営者自身そして社員一人一人によい「運」が流れ込んでくる必要があります。そのためにも、
各々が考え、気づき、感じながら、自らの感性そのものをピカピカに磨き上げておくこと。
各々が正しいプロセスを地道な努力を重ねながら歩んでいくこと。
各々が自分はどういう人間になりたいか、何を成し遂げたいのか、そのためには何をするべきか、ということを常に自問自答しながら。
著書の一言一句すべてが心に響きます。
私のマーカー箇所もかなり多くなっています。
その中から、私の心に残った箇所を挙げてみると、
勝因と敗因を常に整理し理解していなければいけない。勝っても負けても必ず検証しておくべきこと、それは、ひと言でいえば「正しいプロセスを経ていたか」ということだ。
私にわかるのは、結果重視よりもプロセス重視のほうが、根拠のある運に巡り合う可能性が高いはずだということだ。
見逃し三振を避けて当てにいくよりも、根拠のある見逃し三振をしたバッターのほうが、次にはその根拠によって打ち勝つことにつながる。根拠さえあれば、見逃し三振は恐るるに足らずなのだ。
私がなぜ野球の神様を信じているのか。それは、努力を信じているからだ。努力はいつか必ず報われる。私はそう信じて、努力をしてきた。自分の能力のなさをカバーするためには、人一倍、努力するしかない。
根本になるのは、自分はどういう人間になりたいかという思いだ。自分は何を成し遂げたいのか。そのためには何をするべきか。そういう思いが自分を変え、運を切り開いていく原動力になるのだ。
チャンスや運というのは「自分の力だけではない力」のことである。それはつまり「みんなに助けてもらう」ということだったり、「だれかが力を貸してくれる」ということだったりするのだ。チームのために自己犠牲を厭わない人には信頼が集まる。我欲を捨ててみんなのために動ける人には多くの協力者が現れる。チャンスや運というものは、そういう人にこそ訪れるものなのだ。
人の間と書いて人間と読む。人と人との間で生きていく。それが人間だ。人間はけっして自分一人だけでは生きていけない。だからこそ、自分のためにだけ生きるのではなく、人のために生きることを考えなければいけないんだ。
感性が優れている → 流れを読み取る力がある → チャンスをつかむ → 運を逃さない → チャンスに強い → 運が強い → 自信を持つ→ さらに感性が磨かれる・・・・・。こうした流れの好循環を自らつくれる人が、流れをつかみ、運をつかみ、いい結果を引き寄せていくことができるのだ。
鈍感な人は、けっして一流になれない。鈍感な人は、流れも見えないし、結局は運もツキもつかめない。私が常々、「人間の最大の悪は鈍感である」と言っているのは、そういうことなのだ。
目に見えない流れを感じる力、つまり感性が優れている選手や監督のいるチームが流れをつかんで、実力が上回っている相手に勝つ。
瞬時に状況判断や予測をする力こそが、流れをつかむためにもっとも大切なことだ。それが、感性なのだ。
鈍感な人は一生、流れをつかめない。
鈍感な人は、けっして一流になれない。鈍感な人は、流れも見えないし、結局は運もツキもつかめない。私が常々、「人間の最大の悪は鈍感である」と言っているのは、そういうことなのだ。
感じる力がある人は、考える力も身につく。考える力は変化につながり、向上につながる。チームとして見た場合、チームの中心になるような選手が感じる力を持っていれば、それがチームを成長させる力になる。野球ほど目配りや気配りの必要性が高いスポーツにおいて、鈍感な人間がチームの中心にいようものなら、流れは相手に行き放題になってしまうのだ。
考えること。気づくこと。感じること。それが運につながるのだ。私はいま、改めてそう思っている。
まだまだ、たくさんあります。
そして、野村克也氏の著書にはよくでてくることば。
運命はかえられるか?
運は自分で切り開けるものなのか?
私の答えはYESである。
心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
著書の最後は下記の一文で締めくくられます。
私はこれからも命あるかぎり、正しいプロセスとは何かを自らに問いながら生きていきたい。
それが、たくさんの縁と運に生かされてきた人間の務めだと思っている。
私自身も「正しいプロセス」とは何かを自らに問いながら生きる努力をしていきたいと思います。それがたくさんのよきご縁とよき運をもたらせるために必要かなと思います。そして、たくさんのよきご縁とよき運は、人生を豊かにするためには必要かなと思います。
野村克也氏のご冥福を心よりお祈りします。