「自分の運命に盾を突け」岡本太郎著

第1章 もっと「自分」をつらぬいてみないか

第2章 「すごい!」という感動が起爆剤だ

第3章 キミも人間全体として生きてみないか

第4章 下手でも自分自身の歌を歌えばいいんだ

第5章 キミ自身と闘って、どう勝つかだ

 

ちょうど1年前、緊急事態宣言が出され、先が見通せない不安が世の中全体を覆っていた頃に読んだ「自分の中に覚悟を持て」。

人類が未知のウイルスと対面し続けている今、あらためて「生きる」ことの本質・根源・原点を突き詰めていくプロセスを正しく踏んでみたい。

そんな思いで再び岡本太郎氏の著書を読むことにしました。

変わることなく岡本太郎氏の言葉がずしんと心に響いてきます。

そしてそれは、1年前のときよりもさらに強い響きとなっている気がします。

 

「人間、だれでも、生きている以上はつらぬくべきスジがある」

岡本太郎はそう言った。次はぼくたちの番だ。

 

そう、スジ。

しかし、スジを通した生き方を貫き通すにはそれなりの覚悟が求められる。

 

その覚悟はできているか?

 

私の場合、まだまだ修行が必要です。その修行の1つが、岡本太郎氏の著書と真正面から向き合うことかもしれません。

岡本太郎氏の著書を読んだ後は、かなりヘトヘトになります。しかし、時間が経つとまた再び読みたくなってきます。

 

今回の著書もまたマーカーだらけとなりましたが、「スジ」が語られる箇所に絞ってピックアップしてみたいと思います。

ぼくは、五つ、六つのときから、人生はこう生きていくんだという考えをもっていた。スジをもっていたんだ。

自信のあるなしにかかわらず、そういうことを乗り越えて生きる。それがスジだ。

ひどい目にあったり痛めつけられても、むしろうれしい条件としてほほえみを浮かべ、つらぬき通す。ふりかかってくる災いも、恋する相手を受け入れるように受ける。けっして逃げない。たしかにきついよ。でも、はればれとした顔で立ち向かう。これがぼくの生きるスジだ。

どんなにつらくても、自分の”スジ”を守る。

この規制された社会のなかでそういう生き方をすれば、迫害を受けるだろうし、つらいイヤな思いもする。そんなことは覚悟のうえで生きていく人間が、ほんとうのスジを通している人間だ。

同年配のこどもと比べると、ぼくは熟したところと未熟な面のふたつをもっていたみたいだな。そして徹底的にスジを追って迫る、とても変わったこどもだった。

ぼくはなにものにも期待しない。それが「スジ」だ。

親の時代とこどもの時代はちがうからだ。純粋に自分の生き方をつらぬこうとしたら、自分のスジを通すべきだ。

相手と殴りあいの喧嘩になっても自分のスジをつらぬき通せ、と言ってるわけじゃないよ。そんな殴り合いは愚行だ。自分のスジを通そうと思ったら、逆にデリケートに相手の気持ちをつかんでいかなければならない。

日常的なおつきあいはあまりなかったけれど、お互いのスジを認め、かけがえのないものと思っていた。それが友情なんじゃないかなあ。

いまでもこの信念は変わらない。たくさんの人は”岡本の言うような芸術運動をやったら絵は絶対に売れないだろうし、生きていけなくなる。ほかの職業をさがさなくてはならなくなる”と言った。でもぼくは”いや、死んでもいい。それでも自分のスジをつらぬく”と言って生きてきた。

己をつらぬいて生きている以上、そういう危険な目に遭う。つまり、自分をごまかして生きていれば無難で、殺されない訳だよ。自分のスジをつらぬいて純粋に生きれば、殺されるという危険にしょっちゅうぶつかる。

いままで何回も言ってきたことだが、ぼくは人に好かれない絵を描いてきた。好かれない絵は売れない。売れなければ食っていけない。食っていけなければ死んでしまう。つまり社会に殺されるわけだ。自分のスジをつらぬけば殺されてしまう。ぼくはその方がスジだというんだ。これはやさしさではできないよ。

いちばん大切なことは、自分の敵は自分自身だということ。それを知るべきだ。自分のスジをつらぬくことは、自分自身といかに闘い、勝つかってことだ。

たとえ弱くても、小さくても、平凡だと言われてもいい、その中身においてはだれも生きなかった生き方をしてみようと思うのさ。ただのお遊びではなく、生きていて、ぞっとするほどおもしろかったというような生き方をするんだ。その生き方は、どんなところにいても、やればできる。会社のなかでも学校のなかでも、またその他社会のシステムの中にいても、だれもがやらなかったことで、スジの通った生き方はできるんだよ。

とかくほんとうの一流人は、生きているあいだには認められないケースが多い。もし一流人を知りたければ、自分がスジを通して生きて、時代と闘う素晴らしい人間と快くぶつかりあうことだ。

人間はだれでも成功を願っている。しかしそれより、成功しないことを前提に命を賭けてスジを通した人間のほうが素晴らしいじゃないか。

人間は九十九・九九パーセントが成功しないんだ。つまり成功者でないほうがより人間的な運命なんだ。そういう無名の運命のなかで、自分のスジをつらぬき通して、歴史にも残らないで死んでいった者の生き方に、ぼくは加担したいんだよ。

もし自分のスジをつらぬくために「否(ノン)!」と言えば、たちまち美術界から抹殺されてしまう。でもぼくは、だからこそ、たったひとりで挑み、闘っていかなければならないと思った。挑んでいく価値があると思ったんだ。

伝統とは過去に頼ることでもパターンをくりかえすことでもない。それは”伝統”ではなく”伝統主義”だ。いつでも新しく、瞬間瞬間に生まれ変わって、スジをつらぬきながら現在に取り組む。それが伝統だ。