「負けに不思議の負けなし」野村克也著

「負けに不思議の負けなし【完全版】上・下」(朝日文庫)野村克也著

名将野村克也氏の逝去からちょうど1年。

本書自体は、1984年3月刊行「組織戦の時代  プロ野球 野村克也の目」と1985年3月刊行「プロ野球 監督たちの戦い」を加筆・修正し、上下巻にして刊行されたもの。

今から約35年前に刊行された書籍の内容が、今もそのまま通じることへの驚き。と同時に、時代が変わろうとも絶対に変わらない人間の根っこ部分の不思議さ。

私自身落語が好きだからかもしれないけれど、野村監督が描く野球世界を生きる人間像と、落語世界で描かれる人間像が重なって見えてくることがあります。

その重なりを見た時、感動することがあります。

 

私が経営者として「組織づくり」「チームづくり」「人づくり」の手引書として手元に置いている野村監督の著書や言葉の数々。それらを読み続けて思うこと、感じること。

野球世界観を言語化させ

背筋が凍るような「プロ世界」の厳しさを語り

理論とデータに向き合う冷徹な姿勢

メガネの向こうに光る細やかな人間観察力・洞察力

野球にささげ、野球をささやき続けた野球人生

 

明日は野村監督の一周忌。

マー君も戻ってきました。

心よりご冥福を祈ります。

 

以下は、序章:「負け」を「負け」にとどめてはいけない、からの抜粋です。読めばすぐに開幕、野村ワールドへと引き込まれていきます。

いつだったか、どこかのパーティーに出席したときのことだった。ある企業家が経営者の心がまえについて、自分の体験を織りまぜながらスピーチをしていた。私はお世話になった人たちへの挨拶にかまけて聞き流していたのだが、ある個所にきたとき、「これだ」という言葉にぶつかった。

勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし

というのである。おそらく戦国武将かなにかの戦陣訓の類だと思うが、なかなかいいところを突いている。いわんとしていることが実に合理的だ。

現役時代に、しばしばラッキーな勝ち星を拾った。完全に負けたとこちらは半ばあきらめているのに敵さんのほうで信じられないミスをする。自分で転んでこちらに勝利をプレゼントしてくれたようなことが確かにあった。つまり「不思議の勝ちあり」である。

ところが負けたほうにしてみれば不思議でもなんでもない。ちゃんと敗因がある。たとえば走塁ミスで負けたとしよう。まず走塁そのものの巧拙が責められるべきだが、なぜそういう走塁になってしまったのか、普段の練習は十分だったのか、それから采配に無理はないか、選手の能力を無視して走らせていなかったか、などというチェックポイントが、それこそ山のように出てくる。そういうもろもろをいちいち検証して次に備えることが、チームを強くするうえで非常に大切だと思う。事実、強いチームはそのあたりに手抜きがない。

「アンラッキー」などといって済ませてしまうとすれば、これは間違いなく下位球団の姿である。野球に限らず企業でも同じだと思う。だからこそ、企業家がこんな言葉を口にしたのだろう。

この言葉は上の句と下の句からなっているが、明らかに「下」に力点が置かれている。意識したことはなかったが、私の野球人生はたいがい「負け」からスタートしている。しかし「負け」を「負け」にとどめてはいけない。どう勝利に転化させるか常に考え続けたつもりだ。いささか抹香臭くなったが、勝負ごとはこれにつきるような気がする。