「『昔はよかった』病」(新潮新書)パオロ・マッツァリーノ著 2015年
この書籍の中に書いてあったことからクイズを作ってみました。
(問題)下記は、71歳無職男性から読売新聞に寄せられた投稿ですが、何年前のものでしょうか?
(8月3日の)日本海洋少年団全国大会の開会式で、300人の団員が暑さのため倒れたそうだ。30度足らずの暑さ、それもわずか1時間ほど立っていただけで、団員の1割が倒れたなど、私たちの少年時代を振り返ってみると不思議な気がする。そのころ学校で、全校生徒が1時間以上の集合は常時のことだったが、その中で倒れた者など私の記憶には残っていない。
からだを大切にすることを考えすぎて、鍛錬を忘れているのではあるまいか。肉体も精神も鍛えて抵抗力をつけることが真の健康である。
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(回答)1969年8月12日、今から約50年前の投稿です。
古き良き、というのは、趣味の範囲内でのみ成立するファンタジー。
2500年前の孔子も(「古き良き」というのが)口癖だったくらいだから、「むかしはよかった病」は、現実に失望した中高年ホモサピエンスが必ずかかる病なのでしょう。
史料から客観的に判断すると、むかしの社会もむかしの人間も、ちっともよくなんかありません。いまのほうがずっといい。あるいは、むかしもいまもたいして変わらない。それが歴史の真実です。
さて、上のクイズや著者の文章を読んでニヤニヤしてしまった方は、実際に読んでもっとニヤニヤしてみてください。
「古き良き」って本当によかったの?という素朴な問いかけに対し、
私は感傷で歪められた民衆史を、史料を元に検証し直しているだけでございますよ。
と言いながら著者は検証を重ねていきます。「えっ?!」と思う過激な内容や文章にも遭遇しながら、「う~ん、なるほど」と納得させられるような発見もありました。
特にもうすぐ50歳を迎え本格的な「中高年ホモサピエンス」になっていく私は、油断すると「昔はよかった」「昔はこうだった」「最近の若い者は」という言葉が脳裏によぎりそうになるときもあります。そのようなとき、この書籍がほどよいブレーキ役を担ってくれるかもな、と思ったりもします。
柳家つばめや立川談志は、人間の業を肯定するのが落語だといいました。立派な人ばかりのよのなかなんて、おもしろくもおかしくもありません。
人間の業というものは、今も昔も変わらない。落語好きの私は、結局最後にはここに行き着いてしまいます。